lo-fi Hip Hopチャンネルの自律した空間こそ、建築家が作りたかったものなんじゃないのという話です。

先日「2つめの都市に住む著名人がセロトニン宣言をすると腹が立つ」というブログを書いた。この記事で、勝手に音楽やら創作物を「セロトニン系」と「ドーパミン系」に分けたマトリクスを示した。
このマトリクスで私は勝手に、いわゆる「lo-fi Hip Hop」はセロトニン側へプロットした。

2つめの都市に住む著名人がセロトニン宣言をすると腹が立つ

lo-fi Hip Hopって、こういう音楽ですね。ぜひ再生しながら聴いてください↓

lofi hip hop radio – beats to study/relax to 🐾

ここ数年、YouTubeやSpotifyで人気を博している音楽ジャンルで、まあたくさんのミックスがアップロードされている。その辺のムーブメントがどういうものかは、上のライブ配信と関連動画、更にミュージシャンのbeipana氏が記した以下のブログ記事を読めばカバーが可能です。

Lo-fi Hip Hop(ローファイ・ヒップホップ)はどうやって拡大したか 特徴、始まり、主なアーティスト、アニメとの関わり、そして今後についてなど

記事で紹介されているこのジャンルの特徴の中で、個人的に興味深いのは「チャット機能」とそこから来るコミュニティ性だ。チャンネルはライブ配信されており、ただ、ずーっと音楽とチャットが流れている。そこには始まりも終わりもない。

上の記事では人気チャンネル『Neotic』を運営するSteven Gonzalesの言葉を紹介している。

「自分が不安障害に見舞われた時、ヴェイパーウェーブやLo-fi Hip Hopが気を紛らわせてくれた。だからストリーミング配信を始めて、色んな人たちと恋やドラッグ、ゲーム、映画について話せる場を用意した。」

私はこの言葉が大好きなんです。「色んな人たちと恋やドラッグ、ゲーム、映画について話せる場」って、その「場」という言葉が示すように、コミュニティとして機能している「空間」なんです。現代において、「孤独」は大きなテーマ。「不安との向き合い方」もそう。この問いに対しては、都市住人と田舎の住人の違いもない。「不安障害」というStevenの言葉からはアメリカでxanaxの依存に苦しむ、社会的に困難な立場に置かれた若者というグルーピングをしたくなるけれど、それに留まらずあらゆる層の現代都市住民の課題といえる。

世界が「孤独の弊害」に大騒ぎしているワケ イギリス孤独男性の生きがい創出作戦とは?

この「不安を紛らわすコミュニティ」について、DazedのKemi Alemoruは2年前に着目して記事を書いている。

Inside YouTube’s calming ‘Lofi Hip Hop Radio to Relax/Study to’ community

lo-fi Hip Hopにはサビもなく、曲の起承転結もない。心拍数が上がったり、熱狂もしない。インストが多く、みんなで一緒に歌うこともない。ただ聴いていて気持ちがいい。こういった性質が「ドーパミン系」ではなく「セロトニン系」だと思うわけです。

さてこうした特徴を持ち人気を集める”lo-fi”ですが、一方でそのナリを批判する意見もある。
それが『The New Yorker』誌に2019年4月に書かれた以下の記事「アゲインスト・チル – エクセル作業のための無為な音楽 – 」だ。

Against Chill: Apathetic Music to Make Spreadsheets To

この記事のライターであるAmanda Petrusichは文中で、以下のように述べる。

「作業用BGMを聴くことの有用性は認識しているけれど、それにしたってアートが生産性のツールとして何度も何度もリピートされ、作業が完了すると再生を止めるような様を本当によく目にする。アクティブ・リスニング(創造的な行為であると同時に、非常に楽しいものである)の実践が侮辱され、却下され、無視されるのを見ることに、困惑の想いを持たずにはいられない。」

「バックグラウンド・ミュージックは決して新しい発明ではないが、以前はこの種の体験はほとんどエレベーターと待合室にしか存在しなかった。それが今ではこうした無為な音楽の消費行為で溢れるようになっている。」

(すいません、意訳です)

そして「最高のアンビエント・ミュージックは注意深く緻密に構成されている。決して受動的な体験ではなない。」と言う。ここでの問題は、音楽という創作物の持つ「自律性」ですね。

lo-fi Hiphopの持つ特徴は、作業の集中を乱すこともなく、「好きなタイミングで聴き始めて、終わる」というリスニングスタイルととても相性がいい。だからチャンネルのビジュアルモチーフとして「勉強中の若者」だったり「深夜でドミトリーでなんとなくPCを見ている若者」だったりする。しかし、「(それこそエクセル作業のような)仕事の生産性を上げる手段」として音楽が用いられること、そして「仕事が終われば、(曲がどの段階であるかによらず)再生を止められる」ような「生殺与奪の権を他人に握らせた音楽ってどうなのよ?」というのが「自律性」をテーマにしたライターの主張です。

「じゃあ自立した音楽ってなんなの?」と聞かれたら、難しいんですけど「We Will Rock You」とかそうじゃないですか。「リスナーのお前の今の環境、フィジカルコンディションなど知らん。これ聴いてアガらんかい」というようなパワーがある。別にエンパワー系の曲調に限らず、地域や文化圏や時代によらず、創作物のパワーを感じさせる音楽。リスナーなど社会のコンテキストに対してもたれかからず作られた創作物のことを「自律している」と表現したい。

Queen – We Will Rock You (Official Video)

創作物において「自律性」がなぜ重要か?それは創作物の寿命や評価に影響するからですね。「エクセル作業のBGMに完璧な音楽」を開発したとして、この世からエクセル作業が消滅したらその音楽の価値はなくなってしまう。「桜ソング」って桜の季節以外で聴くことあまり無くないですか?

だからクリエイターは創作物に「自律性」…言い換えると「普遍的な、息の長い良さ」を音として、あるいはリリックとして追究するわけですね。クイーンの曲は歌詞の意味が分からない言語圏でも評価されるわけです。

私はライターの言う「無為な音楽」である”lo-fi”は「自律した音楽ではない」と主張していると認識しているのだけど、本当にそうだろうか?そもそも”lo-fi”は「勉強やエクセル作業、ぼんやりとしたネットサーフィン」のための音楽なのだろうか?

この音楽がこういった「深夜の孤独な都市住人の無為な時間」に寄り添った音楽ではあると思う。だけどこの音楽を聴いて勉強が捗ったり、ハイスピードで美しい表が作れたりすることって特にないんじゃないか(そりゃ、パンクミュージック聴くよりは捗るだろうけども)。また、「勉強に集中するために”ChilledCow”チャンネルのページに行こう」と思って再生してる人ってどれだけいるのだろう。

ライターも自ら言うように、この音楽は何の目的のためにも存在していない。「なんとなく」再生されている。でも「なんとなく」って「意味もなく」ってわけではないんです。

いろんな人に聞いてみたいのだけど、あなたには「なんとなく」居たい場所ってあるだろうか。例えば「今の家のカウチがものすごく気に入っているよ」という人がいるとする。私がその人に理由を尋ねたら、もしかしたら「この質感が座り心地というか、背中と腰との収まりがいい」だとか「朝はいい日当たりになって、ここで飲むコーヒーが最高」だとか言うかもしれない。そしてそれに対して私が「なるほど、そういった意味での座り心地で言うんだったら、こっちのエルゴノミクスチェアはどう?」とか提案したら、あなたはどう返答するだろうか。「いや、そういうことじゃないんだよな」となんとなく言い返されるか無視されるかだと思うのだけど、要は目的を持った空間じゃないんですよね。「なんとなく」居たい場所ってパワーがあるし、価値があるわけです。

この例はパーソナルな話だけど、建築家は時代を超え、地域や文化圏を超えて「ひとつ目的に依存していない、なんとなく居心地のいい」空間の質ってなんだろうと考え実践しているわけですね。音楽家もそうでしょう。(「居心地のいい」は、創作者が目指す空間の質を表す言葉に置き換えられます)

また、ウェルビーイングが重要視される今、日本では特に3.11以降というか、建築は「つながりの場」「コミュニティ形成」のための空間を目指すということもだいぶ重要視されるようになっている。「つながり」「コミュニティ」のためにはソフトのエコシステムが重要で、その達成に寄与するのであればハードとしての建築は別に無くてもいい、というアプローチは「コミュニティデザイン」と呼ばれたりする。

「1人でも複数でも過ごせる、縁側のようなセミパブリック空間があるコミュニティセンター」みたいな空間を設計すれば、そこは「つながりの場」になるのか?それは分からない。この実践は難しいし、「孤独」「不安」に対するデザインアプローチが重要であることは変わらないものの、ポストコロナエイジでは「つながり」の形も変わっていく。そこで今改めて注目に値するのが、Low-fiチャンネルなわけです。

“lo-fi”は「なんとなく」再生される。そして漠然と抱く不安を紛らわせてくれる。この音にはそういう力があるわけです。そして終わりなく再生されるチャンネルはチャット機能もあって、そこには気を紛らわせたい人たちが集まり「寝れない」と書き込んだり、他愛もないやり取りをしている。

ウイルス罹患リスクもなく、家から出ることなくアクセスでき、世界中の同じ思いを持った人と居心地よく繋がれる、不安を紛らわせることのできる空間がそこにはある。いい音、いい絵が終わりなく再生される。今求められている空間がそこで達成されている。

lo-fi記事の決定版を記したbeipanaさんに、都市封鎖後の今lo-fiチャンネルの参加者・再生数が激増しているというニュースを教えていただいた(やりとりできて嬉しい)。元々眠れない深夜に聴かれていた音楽が、「Stay at Home」できる人、仕事をクビになったが外に仕事を探す状況でもない、という人たちが家で聴いてるんだと思う。これはイメージしやすいですよね。「インドのユーザーが『おやすみ』と言っているときに、カリフォルニアのユーザーが『おはよう』って言ってるよ」とチャンネル創設者の言葉が紹介されている。

Lo-fi beats to quarantine to are booming on YouTube

lo-fiチャンネルの自律性は、漂いつつも変わらずずっとそこにあるという安心感からも見て取れます。今インターネットの空間を見回してみると、「アナタこんなのが好きなんでしょ」というものか、「ぜひこれ見てくれませんか」というものばかりです。前者はパーソナライズという思想によって、後者は広告ビジネスによって(そしてその両者は大きな関係がある)作られている。パーソナライズされた空間は確かに自分の好きな要素で作られた空間なのだけど、そこはあなたの他には誰もいない空間なんですよね。

「あなたの他には誰もいない空間」は良い空間の時もあります。たとえ小さいスペースだとしても、料理は好きな人は自宅のキッチン、本が好きな人は書斎など、自分がこだわって試行錯誤を繰り返した結果「何がどこにあるかも把握できているし、空間がオーガナイズされている」状態だと最高ですよね。ところどころ直したいところもあるしいびつだけど、それも含めて愛することができる。この世界には自分1人!誰も入ってきて欲しくない。

しかし優秀なエンジニアが集まって作られたアプリのアルゴリズムによってパーソナライズされた空間は、一見自分の好きなもので溢れているし、その構成も悪くはないんだけど、「なんでそれはそこにあるのか」は一切分からない気味の悪さがあるんですよね。「気持ち悪い」ってダイレクトに感じることはないんだけど。「なんでこうなっているのか分からない空間に、自分1人」ってなかなか辛い。しかもそこには興味関心に寄らず声をかけてくるヤツ(広告)もいる。無視できるけど、怖いよ。

パーソナライズのない時代のインターネットって、それと出会うのは本当に偶然になるんだろうけど、もっと「自律したコミュニティ空間」があったんだろう。しかし今は違う。どこにいても自分1人。そんなインターネットの中で、今までのコミュニティほどクローズドでなく(多少パーソナライズされているからこそ、あなたはそれに出会うことができる)、しかしあなたの調子に関わらず明日もそこにある空間がLow-fiチャンネルなわけですね。

しかしそれは完璧に自律しているわけではない。なぜならそれはYouTube上にあるから。あくまでGoogle様のプラットフォーム上なんですね。実際そのリスクは、「Lo-fi Hip Hop(ローファイ・ヒップホップ)はどうやって拡大したか」でも語られています。いくつかのチャンネルはEUの著作権改正案によってグレーなビジュアルが影響を受けるかもしれない。

いずれにしても、不完全ではあるものの、lo-fiチャンネルが持つ「孤独」「不安」を紛らわす力については注目に値する。今、他に誰がこんなことを達成しているだろう?

後記:
インターネット上に自律した空間をどうやって成立させるのか?という問いは『ダークウェブ・アンダーグラウンド』でその議論が展開されていた気がする(また読み直します)。更に最近のニュースを見てみると、マインクラフト、「あつ森」、フォートナイトあたりにもヒントがありそうだと思っています。

参照:

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち 木澤佐登志
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